Sunday, February 17, 2013

人の道 教会で育む道徳心




  米国ではサンクスギビング(感謝祭)が終わり、クリスマスに向かって心浮き立つ季節となる。キリスト教会も、一年で最大の行事の準備に追われる。
 「米国を理解しようと思えば、教会に行きなさい」との隣人のアドバイスで、在米中は家族と共にせっせと日曜日のミサに通った。
 私はクリスチャンではないが、わが家の近くにあったプロテスタント系の教会に行って牧師に意図を話すと、「大変よいことだ。ぜひ来なさい。子供さんには日曜学校がありますよ」と異例の歓迎を受けた。
 最近の米国人は、宗派にとらわれることなく、自分の気に入った教会に足を運ぶという。選ぶ基準は牧師の人柄だそうだ。
 日曜日のミサでは、牧師が時々の出来事や時事問題を取り上げて、聖書に基づいて説教をする。われわれが通った教会の牧師は、もと労使交渉専門の弁護士だ。朗々とした声の持ち主で説得力があり、ハリソン・フォード似の男前だったから、非常に人気があった。
 「ウソをついてはならない」「困っている人を助けなさい」と大まじめで人の道を説く。聴衆は感動し、生きる力を与えられた。
 米国で妊娠中絶に対する根強い反対があり、女性解放運動と真っ向から対立する背景には、受胎は神の思し召しとする聖書の思想が生きているからだ。
 クリントン前大統領は、非常に有能な大統領だと評価される一方、ホワイトハウスでの実習生との不倫、偽証スキャンダルが、「大統領としてあるまじき行為」と弾劾裁判にまで発展したのも、単なる民主・共和両党の政争だけではなかった。敬虔(けいけん)なクリスチャンたちの怒りが爆発したのだ。米国では、今でもキリスト教が社会道徳のより所となっている。
 振り返って日本の社会を見ると、政治家、官僚、裁判官、警察官、教育者などの公職に、最低限の道徳さえ守ることができない人々がいる。子どもたちの道徳教育を議論する前に、大人の道徳教育こそが必要だ。宗教にこだわらず、週に一度でも己を振り返って、人の道に外れたことをしていないか反省する機会が欲しい。
(2001年11月24日)

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