Monday, February 11, 2013

玉砂利の味わい



 先日、夏休みを取って伊勢神宮に参拝した。在米中すっかりアメリカナイズされた娘に、日本文化に触れさせるのが目的だった。
 内宮への参道を、玉砂利を踏みしめて歩いて行く。台風が去った後で、緑の木々がみずみずしい。五十鈴川の清流は昔と変わらず、娘が川のふちにしゃがんで手を漬けると、無数のコイが寄ってきた。
 「水が冷たくて気持ちいい」と、娘は蒸し暑さの疲労から生き返ったようだ。
 ふたたび玉砂利を踏んで、杜の中を社殿へ向かって歩く。すると、不思議に気分がリラックスしてきた。
これはなんだろうか?
 米国にいた時には、ついぞ味わったことのない感覚だ。その大きな要因は、どうやら玉砂利を踏む音と、足の裏から伝わってくる刺激にあるらしい。
米国では、国立公園や遊園地に行っても、人が歩く所は都会と同様に舗装路ばかりだ。石畳やアスファルトの路面は硬く、足の裏への刺激も単調だ。だから、足の動物的な感覚が麻痺してしまうのかも知れない。踏みしめるほどに弾力のある玉砂利は、靴底を隔てても足の裏のツボを刺激し、血行をよくするようだ。
 神社に玉砂利を敷き詰めるのは、本来はホコリを立てず、水はけを促し、滑り止めとするためだろう。が、現代社会の単調で人工的な刺激の中では、非常に新鮮なものがある。
 米国文化もずいぶん変わったが、家の中で靴を履く習慣は今でも続いている。とりわけ都会人には、足に問題のある人が多い。だから、足指の変形や魚の目・水虫の治療、爪の手入れから角質化した皮膚のマッサージまで、フット・ケアを専門にするポダイアトリスト(podiatrist or foot doctor)が花盛りだ。
 「フット・ケアを受けると、よく眠れるんだ」と、シンクタンクに勤める米国人の友人は言う。
 神社に参って、冷たい水で手を洗い、玉砂利を踏んで心身をリフレッシュさせ、二礼、二拍手、一礼することは、信仰心の涵養だけでなく、健康法としても見直されるべきだと思う。
もっとも、年中運動靴の娘は、そんな「玉砂利文化」よりも、イセエビや松阪肉の「食文化」の方により強い関心を示したが…
(2001年9月8日)

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