Saturday, February 2, 2013

米国の老人遺棄



 "Granny dumping" という英語を知ったのは、七年ほど前に米国の推理作家、エド・マクベインの「87分署シリーズ」を読んでいたときだ。グラニーは「おばあちゃん」、ダンピングは「捨てる」、つまり「老人遺棄」である。
 救急病院の入り口に車いすに乗った老女が置き去りにされた。彼女はアルツハイマー病を患っていて、自分の名前さえ憶えていない。身元を示す手掛かりは何も無い。下着のタグまで切り取られており、明らかに意図的な遺棄行為だ。
 ワシントン特派員時代、私の主治医だったジョージタウン大学医療センターのウィルキンソン博士に、グラニー・ダンピングの実態について尋ねてみた。
 「個別のケースは複雑な事情がからんでいて、ほとんど公表されないが、老人遺棄はエルダリー・アビューズ(老人虐待)のなかでも、深刻な問題だ」と、博士は顔をしかめた。
 遺棄されるのは女性の方が多いことから、この名称が付いた。今や、ウェブスターの辞書にも載っている。
 最近の「米国老人虐待事案研究」によると、六十五歳以上の人が何らかの虐待を受けたケースは、一九九六年で四十五万件。米救急医師会(ACEP)によると、老人遺棄だけで年間七万件に上るそうだ。
 「虐待者の九割が家族や近親者だ。虐待された老人は、家族との絆を失うことや仕返しを恐れて、訴える
ことができない。まして痴呆老人となると…」と、ウィルキンソン博士は語った。
 老人遺棄に至る背景は複雑だ。米国で痴呆老人にフル・タイムの介護人を付けるには、最低年間十万ドルは掛かるという。普通の家庭で賄える金額ではない。しかも、米国の高齢者医療保険制度(メディケア)は、ほとんどこの方面では機能していない。だが、痴呆を主症状とするアルツハイマー患者だけをとっても、全米で四百万人に達するのだ。
 「介護の費用を支払えない子どもたちが、州を越境して親を捨てる。これはアメリカの恥だ」と、ある上院議員が議会で証言した。
 日本の痴呆老人は百五十万人、二十年後には二百七十五万人になると推定される。介護保険制度が始まって一年、米国の事象は決して他人事ではない。
(2001年4月28日)

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