Tuesday, February 5, 2013

代理母



 米ニュージャージー州に住んでいたメアリー・ベス・ホワイトヘッドさん(当時二八歳)は一九八五年二月、スターン夫妻の代理母となる契約を結んだ。健康な子どもを出産した場合に一万ドルを受け取るとともに、養子契約にサインし、親権を放棄するという内容だった。メアリーさんはその後九回、スターン氏の精子を用いた人工授精を受けて妊娠。八六年三月に女児が誕生した。
 だが、メアリーさんは自分が生んだ子どもに愛情が移った。出産後、子どもの引き渡しを拒否し他州に連れ去った。スターン夫妻は訴えを起こし、親権を争う裁判になった。これが、いわゆる「ベビーM事件」だ。
 八七年三月、同州上級裁判所はこの代理母契約を合法として、スターン夫妻に親権を認め、メアリーさんには親権も養育権も認めないとした。だが、八八年二月、州最高裁判所は一転、代理母契約を無効とする判決を下した。判決は、スターン氏を父親、メアリーさんを母親と認定。ただし、スターン夫妻に子どもの養育の適格性を認めるとともに、母親にも子どもを訪問する権利を認めた。「子どもの利益を最優先にする」との見解からだ。
 米国では、女性側に障害がある場合の不妊対策として、ミシガン州など一部を除き、代理母が容認されて来た。夫婦の受精卵を育てるために子宮だけを貸す場合と、メアリーさんのように卵子と子宮を提供する場合がある。ここ二十五年間で代理母出産は一万件との推定もある。日本では産科婦人科学会が「倫理的に問題がある」として代理母に反対しているために、日本人で渡米して代理母出産するケースも少なくない。
 先週長野県で、日本で初めての近親者が子宮を貸した代理母出産が報じられた。マサチューセッツ最高裁が九八年に出した指針によると、「キャリア(子宮貸し)の場合、代理母と出生児の間に生物学的なリンクはない」として、親権訴訟の圏外としている。
 だが、生みの母と育ての母との確執が一筋縄でいかないのは、古今東西に見られる通りだ。白洲で子どもの手を双方から引っ張り合う二人の母親。手を放した方に軍配を挙げる大岡裁き。こうした光景は絶えることがないようだ。
 (2001年5月26日)

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