Sunday, February 10, 2013

学校の安全



 のど元過ぎれば、熱さを忘れる、というのは人間の性であるが、学校の安全だけは、そうは行かない。2001年におこった大教大付属池田小学校の児童殺傷事件のような惨事が、再び繰り返されないという保証はどこにもない。
 日本の学校に勤める知り合いのアメリカ人の女性教師は、「もし、私があの場にいたら」と顔を引きつらせる。「いったい何ができたかしら。殺人鬼が教室の後ろから入って来て、子どもたちに次々襲いかかったら、教壇にいる私は手元の本を投げつけるぐらいしか、できないでしょうね」。ほとんどの教師は、拳法の達人ではないのだ。
 「学校の安全神話が崩れた」とメディアは口を揃え、「開かれた学校」の危険性を指摘するが、悪いヤツが侵入しようとすれば、何としても入るだろう。それに、校内暴力やいじめで、死者やけが人が出たというニュースもなくならない。
 米国では、学校での銃乱射事件が相次いだため、1998年十月に大統領がホワイトハウスで会議を開催、学校の安全が見直された。私の娘が通っていた米国の小・中学校も、来校者に対する管理が極めて厳しかった。正面玄関以外は外からドアが開かない仕組みになっていた。警官の巡回や、凶器の持ち込みを検査するシステムを持つ所もある。
 日本でも今回の事件を機に、防犯カメラを設置したり、警備員を配置したりする動きが出て来た。
 だが、学校の安全確保や危機管理が、米国と日本とで決定的に違う点は、米国では安全を総合的に捉えることだ。学校専門の安全コンサルタントが、各校の安全度を調査、地域社会との連携のうえで、短期・長期の戦略を立てる。
米国三十州とカナダに実績をもつオハイオ州のナショナル・スクール・セイフティ・アンド・セキュリティ・サービスィズの社長、ケネス・トランプ氏はその道十五年のベテラン。九九年には米上院で証言し、「いかにリスクを減らすか、合理的に考えることが必要だ」と説いた。
 犯人捕捉用のサスマタやインターフォンを設置しただけで、学校の安全が確保されるわけではない。ケネス氏は、インターネットのホームページ(www.schoolsecurity.org)で力説している。
(2001年7月7日)

No comments:

Post a Comment