Sunday, January 27, 2013

養子縁組



 中国共産党史の研究者であるジョン・ラップ博士(ベロイト大教授)から、遅ればせながらクリスマス・カードの返事が届いた。表には福禄寿の三神の絵が描かれている。「恭賀新禧」とあるのを見て、なるほどと思った。
 中国の旧正月の年賀状だ。
 「私たちは、二人目の養子縁組をすることになり、大変喜んでいます。順調に行けば、この夏、中国に一歳の女の子をもらいに行きます」
 ラップ博士夫妻は、私が最初に渡米した一九九四年以来の友人だ。大変な子ども好きだが、残念ながら子宝に恵まれなかった。知り合った翌年に博士は、中国・武漢出身の一歳の女児を養子に迎える計画を、私に打ち明けた。
 「日本人として、君はこの養子縁組をどう思う?」
 当時、私はこうしたことに全く無知だったから、「日本の習慣では、親戚や縁者から養子を取ることはあっても、外国人、まして違う人種の子供を養子にする話は、聞いたことがない」と答えた。
 さらに、養子縁組の手続費用として約二百万円掛かると聞いて、「それじゃ、まるで人身売買だ」と思わず口をすべらしてしまった。
 ラップ博士は悲しそうな目で見返した。私は後悔した。
 だが、夫妻の決意は固かった。訪中して女児をもらい受け、米国に連れ帰った。エイミーと名づけられたその子は、今年七歳になる。
 実は、こうした養子縁組は、米国では珍しくない。俳優のチャールトン・ヘストンなど著名人にも、実子のほかに、さらに養子を求める場合があるし、肌の色の違う子を交えた家族も、街でよく見掛ける。
 「わが家は娘が一人です」とうちの女房が家族紹介したところ、「じゃあ、少なくとももう一人、生むか、アドプト(養子縁組)すべきだ」と言われた。大きなお世話だが、米国社会では、未来を背負う次の世代を多数育てることは、たとえそれが他人の子であっても、一人前の社会人としての責務と考えられているのだ。そこには、家の存続や血筋を重視する、東洋的な価値観はあまり働かない。
 私が、ワシントンに移った時の隣人に、中央情報局(CIA)の職員がいた。彼にはすでに腕白盛りの男の子が一人いたが、奥さんは二人目を欲しがっていた。夫妻は国外に養子を求め、夏休みを利用して、ニューヨークから飛び立った。
 二週間後、CIA氏が誇らしげに見せに来たのは、なんとロシア産まれの色の白い、実に可愛い女の子だった。冷戦の時代は完全に終わったとしみじみ実感した。(2001年2月25日)

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