Tuesday, January 29, 2013

宇宙への挑戦



 宇宙開発事業団(NASDA)の宇宙飛行士、野口聡一さんが、来年七月に打ち上げられる米国のスペースシャトルに搭乗することが決った。まずは、おめでとうと言いたい。
 野口さんとは昨年十月、ジョンソン宇宙センターで会った。そのとき、「国際宇宙ステーションの組み立ては、人類の希望を背負っているんです。私は、それに参加できるのならば、どんな仕事でもやります」と、熱っぽく語った。
 彼は平成三年に、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程を終えて、 石川島播磨重工業に入社。平成八年に志願して、NASDAのミッションスペシャリスト(MS)の候補者に選ばれた。
 「候補者」とあくまで注釈が付くのは、米国とロシアだけが現実に有人宇宙船を打ち上げるだけの実力を持つ中で、野口さんの前途は米国の意思に掛かっていたからだ。
 野口さんは、言うまでもなく超一級のエリートだ。だが、東大の同期生が日本で出世コースを歩むのを尻目に、いつ認められるかも分からない宇宙への飛躍に立ち向かった。それは、ちょうど十数億円の契約金の誘惑を振り切って、大リーグに身を投じた阪神タイガースの新庄剛志選手と同じ人生の挑戦なのだ。
 日本のバブルの崩壊以降、米国のトップは内心で、日本人を馬鹿にして来たようだ。ワシントンにいた時のこと、斎藤邦彦前駐米大使は、ある時酒席で、「日本人は決して馬鹿ばかりじゃない」と真情を吐露した。
 日本人は第二次大戦後、アメリカの強い影響下にありながら、常に負けたくないと歯を喰いしばってきた。クリントン政権の八年間、いやというほど経済政策への批判を浴びて、いつか見返してやると思ってきた。
 今や、その願いは思わぬところで実現しつつある。大リーグの、イチローであり新庄だ。そして、もう一つの分野が、米航空宇宙局(NASA)をして「男の中の男」と言わせた若田光一さんら、日本人宇宙飛行士が参加する国際宇宙ステーションの組み立て作業だ。
 その一部となる日本実験棟の呼び名は、野口さんの談話にもあった「きぼう」だ。野口さん、日本人の気概を世界に見せてくれ。
  (2001年4月14日)

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