Monday, January 28, 2013

国歌と星条旗



「星のきらめく旗」が米国の国歌に指定されたのは、一九三一年三月三日、ハーバート・フーバー大統領のときで、今から八十年余り前である。
 それ以前からも、国歌の扱いを受けていたというが、第二次世界大戦を経て、愛国心の高揚とともにすっかり定着した。大リーグの試合の際にも演奏され、プロの歌手だけでなく、選手自らがマイクを握って自慢のノドを披露することも珍しくない。観客も一同に起立して、唱和する。そこには、国歌を歌うことへの誇りが感じられる。
 国旗である星条旗は、小中学校の社会の教科書に「わが国の象徴である」と書かれ、国旗の掲揚から国旗を前にしての宣誓の仕方まで詳しく説明してある。
 「私は、アメリカ合衆国の旗とそれが表わす国家へ忠誠を誓います。神の元で、ひとつの国は分裂することなく、全ての人に自由と正義がありますように」
 小中学校の各教室では毎朝、始業前に教師も生徒もそろって右手を左胸に当て、各教室に掲げてある星条旗に向かって誓うのだ。ここで言う神は、キリスト教の全知全能の神だ。
 日本では戦後五十年以上経って一昨年八月、君が代と日の丸が、それぞれ法的に国歌と国旗になった。
 だが「戦前、戦中の軍国主義教育の影響で、学校で日の丸を掲げて、君が代を斉唱することに反対する人たちがいて、トラブルが絶えない」と話すと、知り合いのアメリカ人の多くは目を丸くする。そして、「それでは、自分の国に対する誇りを失い、国は崩壊してしまうのではないか?」と反論した。
 ワシントン市内から車で約一時間半、ボルティモアにあるマックヘンリー要塞跡は、「星のきらめく旗」の生まれ故郷、有数の観光名所だ。私がそこを訪れたとき、ビジターセンターの暗いホールに誘われ、歴史映画を見ながら、その由来の解説を聞いた。
 対英戦争の最中の一八一四年九月十三日、ボルティモア市民のフランシス・スコット・キーは、沖合いに停泊していたイギリス艦隊に抑留されていた。艦隊は一昼夜かけてマックヘンリー要塞を攻撃した。
 「砲撃が止んだ翌朝、キーが甲板に上がって遠望すると、要塞は陥落せず、星条旗が昨日と同じように翻っていた。その時の感動を詩に読んだのが国歌になったのです」
 解説者の結びに続いて、「星のきらめく旗」の演奏が流れるともに、側面のカーテンが大きく左右に開かれた。観客から感動のどよめきが起った。ガラスの向うには、かつてこの要塞を飾ったのと同じ巨大な星条旗が、夕日に輝いて翩翻とはためいていた。(2001年3月4日)

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